親になるということ

昨日、友達とイオンで買い物をしていたら、ふと家族連れが目の前に現れた。

 お母さんに抱っこされている2歳くらい男の子と、お父さんと手を繋いでいる5歳くらいの男の子。上の子が、お母さんに、僕も抱っこ、とせがむ。お母さんはまぁくん抱っこしてるでしょ、とお父さんが宥める。もう仕方ないわねぇ、甘えん坊さんなんだから、お兄ちゃんでしょ、とまぁくんをお父さんに預け、お母さんは上の子を抱っこした。

ただ、それだけの光景だった。よくある光景じゃないか。どこでもある、当たり前の、光景。

 

なのにどうして泣きそうになったんだろう。

分からない。自分が普通ではない家庭環境だということをひしひしと感じたからだろうか。親に愛されたいと思ったからだろうか。そんな感情はとっくの昔に捨てたはずだった。じゃあ、何故だろう?

泣きそうになった私に、死にたいと願う友人は言った。

「きっといいお母さんになるよ。俺そんな気がする」

どうだろう。子供はたしかに欲しい。でも、私は子供の愛し方を、知らない。きっとすごく不器用な愛し方しか出来ない。そんな人間が子供を欲しいだなんて、良いのだろうか。

頭の中に父親がチラつく。酒に溺れ、アル中となり、酒がなくなると私を殴った父親がいる。その父親の姿が、だんだん鮮明に思い出されてくる。痛い。苦しい。残像に、消えてくれ、消えろ、と叫んだとき、友達ののんびりした声が心地よく耳に入ってきた。

「周りにそんなに恵まれてる人、俺は知らないよ。あんま詳しく知らないけど、父親には恵まれなかった、けど周りにそんなに恵まれてる。今年だって、周りの人が誕生日を祝ってくれるよ。勿論、俺も」

周りに恵まれてる…たしかにそうだった。親に誕生日を祝ってもらったことは無いと思う。そして私の父親は私が何歳かすら知らない。

でも私には周りの人がいた。

親のために生きようとは思えない。けれど、周りの人間のために、私は今日も生きる。